先日会話の中で、
自分の死ぬ日を知りたいか?と言うかお話になりました。
みなさまはいかがですか?
ちょうど先日のハワイからの帰国便で
「最高の人生の見つけ方」という映画を観たのですが、
(前にも飛行機で観たので2、3回目でした。)
その映画は、病気で余命宣告をされた人が、
残された時間でやりたいことをリストアップし、
これまで先延ばしにしていたことや、
遠慮していたこと、躊躇していたことを
どんどんやっていくというお話です。
確かに自分が死ぬ時期を知ったら、
何十年も先の生きているかどうかも分からない
老後の心配などしなくていいですし、
長ければ長いなりに
人生を見据え、焦らずゆったりと生きたり、
短いなら短いなりにその時までに
やりたいことをやりきろうと
計画的に生きられるかもしれません。
とは言え聞いてしまうとその日が怖いと思ったり、
まだまだあると思うとやりたいことを
ますます先延ばしにしてしまうかもしれなかったり、
100歳まで生きると言われたら、
一人で残されることを思い本気で老後が不安になったり、
交通事故で半年後に突然と言われたら、
その日までが死へのカウントダウンのように
感じてしまうかもしれません。
そんなことも考え、
さてみなさまは自分の死ぬ時期を知りたいでしょうか?
私は知らないなら知らないでいいですし、
知ったら知ったなりに生きたいと思うので、
あえてどうしたいとは思いません。
私たちは通常、自分の死ぬ時期を知らない
という設定で生まれ、生きています。
中には病気の余命宣告などで知る人もいますが、
知るかどうかは生まれる前に
自分で決めてきているのだろうと思っています。
そうすることで必要な学びや魂の成長に
より効果的だと計画されたのだろうと思います。
ただ昔は知りたいと思っていました。
知っていたら、その日までに
まさにその映画のように、
お金を使い過ぎでは?などと気にせず、
やりたいことを全部片っ端からやって死ねると思ったのです。
後悔のないように、
最後に会いたい人みんなに会って、
伝えたいことをすべて伝え、
家族にも感謝を伝えたり、
部屋や持ち物なども整理し、
後に残して人に手間をかけないようにし、
わずかでも貯金などがあるなら
送りたいところに寄付をし、
仕事ばかりしていないで、
人に気を使って遠慮したりしないで、
自分の本当にしたいことに時間を使い、
人の目や評価など気にせず、
したいことだけ100%の日々を過ごすだろうと思いました。
(ハワイ オアフ島 ホテルの部屋から見た夕日。)
でもそこでふと、
それは別に死ぬ時期を知らなくても
していいのでは?と気づきました。
いつ終わる人生か知らなくても、
今、いつも、そう生きればいいだけだなと思ったのです。
やりたいことを楽しみ過ぎでは?と遠慮することなく、
片っ端からやり、
会いたい人に会い、ありがとうと伝えたり、
大好きだよとハグしたり、
一緒に歌ったり笑ったり、
持ち物を必要最低限に整理し、
いつもそれだけあればいいというだけのもので暮らしたり、
送りたいところに寄付をし、
仕事ばかりしていないで、
自分の本当にしたいことのために時間を使い、
したいこと100%の毎日を生きる。
それは死ぬ時期など知らなくても
やっていいことで、できることです。
なのに人は死ぬと分かってから
それらをまだしていないと気づき、
焦ったり後悔したりするのです。
誰もが絶対にいつかは死ぬと知っているのに。
どうしてそれをぼんやりとした遠くのもののように考え、
まだまだ自分には先だと思って、
したくないことや、
他人や社会の都合や要望に応えることを優先し、
楽しむことを遠慮し、
素直になることを恥ずかしがったり
後回しにするのでしょうね。
私は何をしに生まれてきたの?
人の目を気にしたり、
他人の都合を満たすためではないはずなのに、
どうして本当に大切な自分を生きることを
先延ばしにするのだろう?、とその時に思いました。
死ぬ時期を知りたい理由がそれなら、
別に知らなくてもそれを生きればいいだけです。
だから私は死ぬ時期を知らないのだなと思いました。
これは人により様々なパターンがあるかと思いますが、
多くの人は知らずに生まれ、生きていて、
それはきっと知らなくても
自分の本当の目的は達成できるということ
ではないかと思います。
その目的や生まれて本当にしたかったことを見つけるために、
死ぬ時期を知りたいか?
それは何故か?を考えてみると
いいヒントになるように思います。
人生の目的や生きる意味などを考え出すと、
魂の成長や愛を学ぶためなど、
大きな意義を考えたりしますが、
それももちろん大切ですが、
それをするためにも
今自分が本当にしてみたいこと、
ワクワクする楽しみなことはとても大切で、
もしただ意味もなくやってみたいだけのような
無駄に思えることであっても、
せっかくこの自分として生まれてきたのですから、
それはぜひやって還りましょう。
例えば大学へ行く目的が、
勉強のためや、将来の就職のためであったとしても、
そこで出会う友達との楽しい時間や、
バイトに明け暮れたり、恋愛で想い悩む経験もまた、
とても貴重なものであるように、
人生でも魂の成長などのメインの目的以外の部分も
とても貴重だと思いますから。
私は今は、自分のやりたいことをし、
生きたいように生き、
誰かや何かに遠慮して
したいことを後回しにするのはやめました。
真面目過ぎず、不真面目過ぎず、
やることはやりながら、自由に楽しみ、
最後は「ああ、楽しかった!」と言って
この人生を終わりたいですね。
今日がそんな人生の1ページでありますように。