昔の私は無自覚ながら
人の目や評価を気にしていたように思うのですが、
今は昔に比べて随分自分らしく生きられるように
なったなと思います。
それは今の私が賢くなったからでも、
強くなったからでもなく、
隠れていた才能が見つかったわけでも、
仕事の実力を身につけたわけでもありません。
ただ自分が人を評価することをやめようとし、
正しさに振り回されないようにしようとしたことが
きっかけだと思います。
自分が人を評価せず、正しさで人や自分を裁かないでいると、
自然と自分の日常に自分や人からの評価や裁きがなくなり、
自由に考え行動できるようになりました。
私たちは人から
「それは正しいからよし。」「それは間違っているからダメ。」と
承認を受ける必要はないのに、
人の目や評価を気にします。
噂話やゴシップのコメントの多くはよく見ると、
人を良いか悪いか各自の基準で裁いています。
でも本来私たちは人からOKをもらわなくても
自由に選択をして生きていいはずですね。
誰だってたまに間違えることもあるけれど、
それは神様ではなく人間だからで、
自分で次はこうしようと学ぶことが生きることです。
少なくとも人にOKをもらうために生きているわけではありません。
自分が人を良い悪いと評価したり批評したりして裁かなくなると、
そういう価値観から離れるので、
自分が生きる中で、人からこんな風に思われるのではないか?と
考えても答えのでないことで気に病むことがなくなってきます。
そんな価値観から離れるほど、
自分らしくいることは簡単になり、
自由に人生を楽しめるようになります。
そのためにまずは自分がいかに
人を評価し裁いているかに気づくことが大切で、
日常の小さなことやテレビのニュースでも
つい無意識にこの人は良し、この人は悪いと、
判別している自分を自覚し、
裁判官をするために私は生きているわけではないなと
裁くことをストップさせるといいですね。
そんな楽しくない仕事は神様におまかせして、
(でも神様もきっとしたがらないでしょうね。笑)
私たちはもっと自分の人生に夢中で生きればいいのです。
今ちょっと、誰かを批評して裁いている自分を想像してみてください。
どこかの先生や警察官や母親がこんなひどいことをした、
というニュースで見て、
「ひどい!ありえない!人としてどうなの?」などと
それを裁いている時の自分は
どんな顔をして、どんな心でしょう?
もし見えるとしたら、その時の自分のオーラは
どんな色だと思いますか?
(見えなくてもイメージで。)
私が想像するに、人を裁いている時の自分の顔は
少なくとも輝くような笑顔ではないだろうし、
心には怒りや悲しみがあるように思います。
オーラもどんよりくすんで重暗いのではないでしょうか。
わざわざそんなことをして、自ら波動を落とす必要はないですね。
自分の貴重な人生の時間をもっと大切にして、
自分が喜ぶことをしたり、
人も喜んでくれることをしたり、
笑ったり感動したりして生きたいですね。
そんな風に生きるクセがつくと、
いつの間にかいつも自分らしくいられるようになります。
人から裁かれることなど気にせず、気にならず、
また、不思議と人から裁かれることがなくなってきます。
人の目から自分がどう見えるかの視点から、
自分が自分のままで世界の美しさを楽しむ視点になります。
ちょっとくらい人からヘンだと思われても嫌われても、
きっと好きだと思ってくれる人もいますから、
あまり気にしないで、
自分の魂が伸び伸びと自由にあるように生きたいですね。
明日もこの美しい世界を楽しみましょう。