前向き気づき日記

瞑想歴29年。軽やかに自由に自分らしく。

北山裕子

北山裕子(id:yuko-k-ami )
瞑想歴29年、東京や大阪を中心に瞑想セミナー、キネシオロジーセミナーを主催。 エネルギーヒーラー。 23才で摂食障害を治すため、 藁にも縋る思いではじめた瞑想で潜在意識とつながり、 自分の奥底に眠っていた本当の自分(潜在意識)と 会話ができるようになりました。
読むと気持ちが軽やかに、自然と前向きになるようなお話しを綴っています。

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自分らしさの見つけ方~自分という花を咲かせて生きる

今日は自分らしさや個性についてのお話です。

天職や自分を探している方の参考になればと思います。

 

例え話になっていますので、

ご自分で置き換えて読んでみてくださいね。

 

 

今年はチューリップを描き、

昨年はヒマワリ、一昨年はバラ…と、

色んな花を描き続けながら、

少しずつ描く花が変わる。

 

そんな人生もいいですが、

 

私はそれが何年も続くとちょっと退屈になり、

一年中色んなチューリップを描き続けてきたのだから、

 

何年も花を描き続けてきたのだから、

 

次は全く違うものを描いてみたくなったりします。

 

例えば、花が大好きで描きたいことは変わらないなら、

色鉛筆で描いたり油絵だったり、水墨画だったりと、

表現方法を変えて試してみたり、

今までとは違うタッチを取り入れてみたり、

 

ずっと庭に咲く花を描いていたなら、

日本では見られない南国の花や高山植物を描いてみたり。

 

そして色んな花を色んな表現方法で描いて、

また始めのように、庭に咲くバラを描くと、

 

そこには以前の自分にはなかった世界が広がっていて、

新鮮で発見があります。

 

 

私はずっとピアノを弾いてきましたので、それで例えるなら、

 

ずっとショパンを弾き続けていて、

でも久しぶりにバッハやベートーヴェン、

ドビュッシーなどを弾いたり、

 

ピアノソロばかりだったのを、

他の楽器とデュオやトリオなどをしたり、

違う楽器を弾いてみたりして、

またショパンに戻ると、

 

前には分からなかった理解が進み表現力が磨かれ、

前には出せなかった深みが出る、という感じですね。

 

 

それを繰り返していると、

今度は描く対象を花だけではなく、

草木や空だったり、人や動物、

更にはイメージの世界や幾何学的なものなど、

 

果てしなく世界を広げてみたくなり、

 

そうして少しずつ世界を広げてはまた花に戻ってみると、

また自分の世界が深まっていることに気づきます。

 

 

そして、ずっと描くことばかりだったところから、

貼り絵や切り絵、彫刻などで花を表現してみたり、

 

更には花を歌や踊りで表現したりと、

それまでやってこなかった表現方法を試してみると、

 

それまでの枠を超え、

自分だけの表現方法で花を描けるようになっていたりします。

 

 

私はそんな風に人生を生きたいなと思っていて、

 

その花にあたるものは、

何かの職業や得意なこと、好きなものだと思っていましたが、

 

今はそれは自分自身だったと気づきました。

 

その花や花と表現方法の組み合わせを、

自分に合った職業だとか、

たった一つの大好きなワクワクすることだと考える人は多く、

 

何を描けばいいのか?どう表現すればいいか?と

探す人もいますが、

 

そういう探し方をすると見つけにくかったり、

自分を見失ったりすることもあるように思います。

 

それは結果的に、天職だったり、

大好きでワクワクすることかもしれませんが、

 

そもそもそれは職業や「こういうもの」と

言い表せないもののように思います。

 

「何か」を探したり、

「何か」だと思っていると

見つけにくいもののように思います。

 

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そんな花にあたる自分自身を知りたいと探しても、

庭の花を色鉛筆で描くことしか知らない自分では、

どうしても分からないものがあり、

 

深みや奥行きが足りず、

花がそこまで自分にとって素晴らしいものだと

感じられなかったり、

 

そんな自分が描いた花では

人の心に響かないかもしれせん。

 

自分らしさや個性から生まれるその人だけの世界は、

そこから飛び出して広げては深めることを繰り返した先に

 

見つけるもののように思います。

 

 

もちろん、人生を通して水彩画で

ずっと庭に咲く花を描き続ける素晴らしい人は

たくさんいます。

 

でもそういう人がただ庭の花を描いているだけかと言えば

きっとそうではなく、

 

人生の中で他では聞いたことがないような過酷な経験をしていたり、

傷つきながら深い愛情を色んな角度から学んでいたり

するものだと思います。

 

一つのことだけでそこまで深めるには、

人並み外れた厳しい経験をしたり、自分ととことん向き合い続け、

それを正面から受け止め自分の足で乗り越えることが必要で、

 

それが一つのことを他の人には真似できないものとして

輝かせているのだと思います。

 

そんな風に一つのものだけを突き詰めて深める人は、

それだけの深さや奥行きを掘り続けている人でしょう。

 

 

このお話の中の花は自分自身だと言いました。

 

本質ではそうですが、

その本質につながるためには

花を描くことが始まりで、

 

これは言い換えますと

自分の中にあるワクワクすることや大好きななこと、

何故か興味があることなどをまずはやってみるという事です。

 

そしてそれをやってみて、

「それで?」「やったけれど仕事にならない」ではなく、

 

夢中でやり続けると、

そのうちに自分なりのやり方や創造性が生まれてきますから、

 

イマジネーションが生まれたらどんどん新しい挑戦をし、

失敗しながら楽しみながら深め、

新しい表現を試し、

それから最初に立ち返ってはまた世界を広げ、

 

それを繰り返していくと、

それでも変わらない本質が少しずつ見えるようになり、

自分のスタイルが形になってくるようになり、

 

形にすることなど忘れて夢中になっていると

自然といつの間にか

もう自分という花が咲いているのだと思います。

 

そしてその花は他のどこにもない自分という名の花なのです。

 

 

今日のお話の本当に伝えたいことがうまく書けず、

どこまで正確に理解され、伝わるのかわかりませんが

 

簡単に言えば、その一つは、

ワクワクや大好きなことという完成品を、

始めから一発で見つけ「これだ!」と思いたいと思っても、

それは難しいものではと言うことです。

 

すでにあること、例えば「花を水彩画で描く」とか、

何かの職業を選択するとか、

それでうまくハマる人もいますが、

そうでない場合も多く、

 

でもそうでないからこその自分で、

それを生きると生命が輝くのだと思います。

 

 

そして今日伝えたいことのより大切なもう一つは、

 

小さな、でも大好きなこと、ワクワクすることを

ただ楽しむだけでなく、

 

その世界の深み、奥行きを

自分だけの経験を通して

どこまでも広げ掘り下げ続けることで

 

自分の本質が花として形になってくるということです。

 

ですから既存の形に囚われず、

オリジナルの自分、創造的な自分を楽しみ、挑戦し、

 

一歩ずつ自分の魂に近づき、触れ、

それを生きて表現することを大胆に自由に生きてみましょう。

 

 

人は完成形や結果が見えないと

不安で歩み出せなかったりしますが、

 

自分の完成形は、それを自分が生きてみなければ

誰も知ることができないものです。

 

私はこれからもそんな自分の未完成さにワクワクしながら

生きていきたいなと思っています。

 

自分の未完成さをおもしろく感じ、ワクワクするのですから、

やはり私が描く「花」は自分自身だなと思います。

 

少しでも何かが伝わりますように。

 

みなさまの魂がどんな未完成の世界を広げるのか

楽しみにしていますね(^^)