前向き気づき日記

瞑想歴29年。軽やかに自由に自分らしく。

北山裕子

北山裕子(id:yuko-k-ami )
瞑想歴29年、東京や大阪を中心に瞑想セミナー、キネシオロジーセミナーを主催。 エネルギーヒーラー。 23才で摂食障害を治すため、 藁にも縋る思いではじめた瞑想で潜在意識とつながり、 自分の奥底に眠っていた本当の自分(潜在意識)と 会話ができるようになりました。
読むと気持ちが軽やかに、自然と前向きになるようなお話しを綴っています。

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叶わなかった夢も宝物

今日も見事な青空が広がる清々しい一日でした。

 

今日も遠方から新幹線に乗って

和歌山市までキネシオロジーの個人セッションにお越しいただき、

 

夜は遠隔ヒーリングと忙しいながら充実の一日でした。

 

どちらのお仕事もとても好きで、

いつも楽しく、またありがたくさせていただいています(^^)

 

ピアノの世界しか知らなかった20才の自分に

「40代であなたはこんな仕事をするんだよ」と言っても

絶対に信じないだろうなと思い、

 

それを想像するとクスッと笑え、

 

人生って本当におもしろいものだなと思います。

 

 

私の本質は昔と変わっていないのに、

 

25才の自分も、今の自分も、

どちらも本当に自分が好きでしたいことをしているのに、

 

こんなに違うことに夢中になり、学び、

それを仕事にしています。

 

昔の自分に

「40代のあなたは他の仕事もしているよ」と言うと、

大好きなピアノだけではないのかと

ショックを受けると思いますが、

 

今の自分はそれを心から喜び楽しんでいて、

 

とても自然にそう生きているなんて、

人は不思議で、だからこそ生きるのはおもしろいですね。

 

 

きっと多くの人が、

まさか自分がこんな人生を生きるとは、と

思ったことがあると思いますが、

 

何十年も夢中で、

他のことなどどうでもいいと思うほどかんばった夢が、

描いたようにいかなくても、

 

人生はそれで終わりではなく、

生きている限り続きがあり、

 

できる限りのことをやりつくした夢は心残りもなく、

 

今日の晴れ渡った空のように清々しい気持ちで

まだ知らない自分との出会いを楽しみながら

歩いていけるものだと思います。

 

 

でも中には過去の夢や理想が叶わなかったことが

無自覚でも悔いとして残っていたり、

苦い経験となっている場合もあるようです。

 

私の知人に、学生時代とても優秀で

将来を期待された人がいました。

 

有名国立大の医学部でも法学部でも入れる実力の

ある人で、

(東大模試などで素晴らしい判定を出していました。)

 

その人は最終的に東大の法学部を受験し、

誰もが合格するだろうと思っていましたが、

残念ながら不合格となってしまいました。

 

色々あり結局別の大学に行き、

そちらも充分素晴らしい学歴でしたが、

本人は受け入れ難いようでした。

 

それからもう30年ほど経ち、

今はもう立派にお仕事をされているので、

大学の些細なレベルの差なんて

たいして今の仕事には関係がないから

こだわらなくてよかったと思っているようですが、

 

それでも未だに時々受験の夢を見て

うなされると話していました。

 

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自分では、もう本当にどうでもいい、

そこまでこだわらなくてよかったと思っていることでも、

 

その時の色んな想いが心の奥深くに焼きついて残っていることがあります。

 

夢を握りしめたままの拳が、

どうしても、絶対に、とがんばった人ほどそのままに、

無自覚のうちに潜在意識の海の底に

沈められていたりします。

 

これはそこまで本気で努力した人だからこそ

味わうことだと思うので、

とても共感しますし、よくがんばった!と

心から拍手を送りたいですが、

 

無自覚なだけになかなか手放せないまま胸の奥に沈み、

時々その癒されていない想いが

夢で「まだここにあるよ」と伝えているのでしょう。

 

 

握りしめたままの夢の拳は、

そうした努力の積み重ねがなくても、

 

例えば恋愛などの強い執着や、

親や世間から植えられた価値観からきていることもあり、

 

それも同じように叶わなかった時、

強く握りしめたままの拳を開かないまま

潜在意識の海の底に沈んでいることがあります。

 

これは辛すぎて直視できず、

自覚的に、または無自覚で沈めてしまう場合も多いですし、

 

人によっては沈めることもできないまま

ずっとその握ったままの手を見ている人もいます。

 

 

私も幼稚園の頃からの夢だったピアノで、

青春を全部かけても結果的に叶わなかったことを経験したので、

 

それがどんなものかは知っています。

 

20代ではピアノの演奏活動を続けるために

極貧生活もしました。

 

それでも手放せず握りしめていたものを

いよいよ手放すことを決めた時のことは

今でもよく覚えています。

 

もう本当に無理だ、と

人生の流れの中でついに自覚した時、

泣きながら、

でも「私よくここまでがんばったな」と思いました。

 

そう思えたらなんだか自分を褒めてあげたくなり、

次のステップに行こうと思えました。

 

まだがんばり足りないのではないか?

もっとできることがあったのでは?

まだやれることが残っているのでは?

 

と思う気持ちがあると、そうは思えなかったと思います。

 

 

これは夢を手放す時や、大切な人を失った時など、

大切なものを手放す時、諦める時、お別れする時に

出てくる感情だと思います。

 

どれだけがんばっていても、

がんばり足りなかったと思っていても、

 

一般的な努力量との比較ではなく、

自分がそう感じられるか?が問題だと思います。

 

そして、自分の努力不足のせいだと

自分を責める人も多いですが、

 

そうではなく、

みんな色んな想いを抱えながら

その時の自分の精一杯を生きていると思います。

 

その経験は、後に続く人生のために、

それを経験する必要があったからかもしれません。

 

ですからもし小さくても握りしめているものがあるなら、

 

それががんばった夢や、大好きだった人との別れ、

親の期待に応えようとしたことなどなんでも、

 

「私はよくがんばった。えらかった。充分だよ。」と

言ってあげるといいですね。

 

何度もそう自分に話しかけ、

それが胸の奥に届くと涙があふれ、

 

泣くだけ泣いたら今度こそ足取り軽やかに

次のステップに進んでいけると思います。

 

その経験や想いは忘れることはなく、

誰にも横取りできない自分だけの人生の宝物として

ずっと優しく心の海に広がるでしょう。

 

 

叶わなかった夢は、思い出すたび辛く苦いものではなく、

その先の自分を生きる大切な宝物です。

 

失敗だとか、ただの経験の一つだとか

軽く扱って流してしまわずに、

 

でももう握りしめずに、

 

そっとそこにあるものとして共に生きていきたいですね。

 

 

夢は叶うとうれしいですが、

叶わなくても本当の夢なら宝物になるのです。

 

そんな宝物をたくさん持って

いつかこの世界を旅立ちたいですね。

 

 

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