いつも「もっと頑張らなきゃ」と感じていませんか?
石橋を叩きすぎていませんか?
完璧でいようとするほど
人生の流れが止まってしまうことがあります。
その原因は、
潜在意識にインストールされた「恐れアプリ」かもしれません。
このアプリを優しく手放すことで、
人生は軽やかで自由に広がっていきます。
・
昨日の記事では、
人生を楽しむこと、したいことを後回しにしない、
というお話を書きました。
(そのお話はこちら。
「幸せを後回しにしない〜今この状況で自分の喜びを生きる自由 - 前向き気づき日記」)
好きなことを楽しむためには、
時間やお金、能力、
家族や職場の人にOKしてもらうことなど、
色んなことが揃ってから、と思い、
それをまず揃えようとする人は多いですが、
揃わなくても、もう先に楽しんでいいんだ、と
自分で自分にOKすることで、
私たちは本当の自由を手に入れます。
「楽しむためにはまず〜しなければ」と思っているなど、
当たり前だと思っていることを
本当にそうかな?と疑問を持ち、考え、
「それ本当?おかしくない?」と気づき、
「私はそれはもういらない」
「私はそうじゃない人生を生きてみたい、
その枠からはみ出してみる」と選択する時、
そこに突如新しい扉が現れ、開きます。
自由になりたい、
もっと自分らしく自由に生きたいと思う時、
私たちはつい、
お金がもっとあったらこうできるのに、
時間がないからできない、
子供が大きくなったら、
家族がいい顔をしないし、この人は変わらない、
今の職場では無理だ、など、
難しい理由を並べたり、
それをどうにかしようとしますが、
本当はそうではなく、
その「〜だから無理」という思い込みを手放し、
別のあり方を選ぶと決めた時、
道が開かれるのです。
状況が整ったから、
道が開き可能になるのではなく、
思い込みに気づき、別の選択をすると決め、
そう生き始めると、道が開くのです。
道が開くのは常にこの順序です。
(ここ大事なポイントです!)
そんな自由への道は
誰でも選択し開くことができますが、
私たちには扉を見えなくしている
たくさんの思い込みや制限があります。
それは昨日挙げたこともそうですし、
他にも、完璧主義というもがあります。
一見、完璧主義というのは
なんだかかっこいいし、
きちんと、しっかりしてそうで、
できる人、かっこいい人、真面目な人のイメージで、
みんなから尊敬されそうで、
自分でも誇らしく思っているかもしれませんが、
これも実は私たちを重くしているものの一つです。
完璧主義な人は、
「完璧主義」が自分自身にインストールされいる状態で、
それはパソコンやスマホで言うと
それだけでハードの容量をたくさん使い、
動きが遅く、まさに重い状態です。
このアプリ(完璧主義という価値観)が自分の中に入っていると、
とにかく色々動きが遅くなり、
物事も、人生も、
なかなか前に進まず、
現実を変えたいとか、
人生の流れを変えたいと思っても、
重くて動かないのです。
完璧主義の人は理想やOKラインが高く、
人生の安全基準が厳しく、
自分に厳しく、
自分や周りに高い期待をかけ、
それができないと自分を責めたり、人を責めたり、
まだ足りない、もっと頑張らないと、
もっとちゃんとやらないと、
もっと準備しないと、と思い、
〜ができたらやろう、
あれこれが全部ちゃんと整ったら進むことができる、
と思っています。
石橋をハンマーでガンガン叩いて確認し、
絶対に大丈夫と思えないと渡らないタイプです。
どうしてそんなに石橋を叩いて、
渡ろうとしないのか?
「絶対」を求め、「完璧」であろうとするのか?というと、
怖いのです。
失敗するのが怖い、
失うのが怖い、
嫌われるのが怖い、
居場所がなくなるのが怖い、
ガッカリされるのが怖い、
価値がないと思われるのが怖い、
できない人と思われるのが怖い、
本当の自分を見せるのが怖いのです。
どうしてそんなに怖いのか?というと、
根底では、
自分のままでは愛されないと思っていたり、
能力や役に立つことでしか、
自分の居場所がないと思っていたり、
人や世界を信用できず、
人や世界は安全ではなく厳しくて、
油断ならないと思っているのです。
だから完璧にこなし、絶対に大丈夫な状態、
誰にも責められない状況にしてから、
したいことをしよう、動こうとします。
だから重くて、だから変化も遅くなり、
人生の流れも滞っていくのです。

(スペイン アルハンブラ宮殿)
ちゃんとやろうとすることも、
しっかり真面目にすることも悪ことではありません。
でも石橋があるのに渡ろうとしないで、
もっと絶対に安全な橋でないと怖い、と
信用できないのは、
石橋の安全性の問題ではなく、
自分が自分や他人、世界を
信じられるかどうかの話です。
それを、完璧主義という鎧をまとい、
見ないでいるだけかもしれません。
そんな自分の鎧の裏に隠れている
不信感、恐れに気づき、癒し、
完璧でなくても大丈夫、
案外人も世界も優しいもの、
失敗してちょっとくらい怪我をしても意外と平気、
ということを少しずつでも学んでいくと、
不完全な自分も人も愛せるようになり、
もっと楽に、安心して、
気楽に生きられるようになります。
するとまた一つ、自由になり、
軽やかな世界、新しい世界が広がるのです。
これまでの三次元世界では、
石橋を叩いて叩いて、
大丈夫そうなら渡るのが賢い生き方で、
完璧主義というのは
「できる大人」のイメージだったかもしれません。
でも風の時代に入り、今の地球の流れでは、
そのあり方は重すぎて、流れを止めてしまうでしょう。
何故なら、その重いものの正体は、
恐れだからです。
今まで役立っていたアプリも、
もういらないなら、
古くなったら消しましょう。(手放しましょう)
そして今の自分に合った、
これから自分が生きたい人生に合った
新しいアプリを選びましょう。
例えるなら、私たちはスマホで、
価値観はアプリです。
アプリは潜在意識に保存されていますが、
それは「=本当の自分」ということではなく、
後から学んでインストールしたものなので、
消すのも自由、
新しいアプリをインストールするのも自由なのです。
あなたはどんなアプリを使って生きていますか?
それは、
「あなたは何を信じて生きているのか?」
ということです。
例えば人や世界は信用できない、というアプリで、
だから完璧でなければ、
もっとしっかり準備を整えないと、
と思い生きることも、
人や世界は優しい、というアプリで、
ちょっと試してみよう♪
ダメでもなんとかなるさ、
そして人ができないことは許し助けよう、
と思い生きることも、
自分に入っているアプリ(価値観)です。
その他にも、どんなアプリが
自分にインストールされていますか?
そのアプリが役に立っている
=自分を幸せにしているならいいですが、
そうではなく、
人生を息苦しくしたり、重くしているなら、
あなたの自由を制限しているなら、
それはもう手放していいのでは。
人生は、
石橋の欠けている部分を探して
石橋を修復しするためにあるのではなく、
渡って向こう側に行って、
見たい世界を楽しむためにあるのです。
橋が不安定な吊り橋でも、
結構渡れるものですよ♪
さあ、あなたのいらないアプリに気づき、
ますます自由に軽やかに、
人生を楽しんでいきましょう(^^)
プロフィール 北山裕子
摂食障害を治すために瞑想を始め、
数ヶ月ですっかり改善しましたが、
その後も続け瞑想歴30年になりました。
現在、遠隔でのエネルギーヒーリングや、
オンラインで瞑想セミナーや直感を磨くセミナー、
個人セッションをさせていただいています。
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