今日は、
自分の感覚を信じて生きることの大切さや、
一見無駄や失敗に見えることも、
それは種まきで、
今はまだ収穫の時期ではないだけですよ〜
というお話です。
結果はちゃんとその後についてくるのです。
今日も長くなりましたが、
色んなメッセージが入っているので、
ぜひ最後まで読んでみてくださいね(^^)
・
今日も気持ちのいい青空が広がる
秋晴れの一日でした。
先日の旅行前に書きましたが、
今ちょうど5年に一度ポーランドで開催される
世界最高峰のピアノのコンクール、
ショパンコンクールが開催されていて、
一次予選、二次予選が終わり、
今晩から三次予選が始まります。
今は全ての演奏を
YouTubeでLIVEで聴くことができますし、
聴き逃した演奏は録画でも聴くことができ、
素晴らしい時代になったなぁと思います。
(もちろんできるなら会場で聴きたいですが。)
毎日7〜8時間くらいあるので、
審査員もさぞ大変だろうと思いますが、
私も大変で(嬉しい大変です!)、
どっぷりショパン漬けで、
今日は夢の中でもショパンを聴いていました。笑
何事もやりすぎたり、ハマりすぎると、
その影響を受けすぎてしまい、
意識がそれ以外のことに向かなくなったり、
今を生きるという意識が薄くなるので、
普段はどんなことでも
バランスを大切にしているのでが、
5年に一度のこの時ばかりは、
大好きなピアノに
どっぷりハマることを楽しんでいます♪
コンクールはオリンピックなどど同じで、
演奏会とは違い、
基本的には参加者の中で
一位、二位など順位を決める場所です。
予選ごとに課題曲の候補があり、
コンテスタントが同じ曲を弾くことも多く、
なのでどうしても比べて聴いてしまいがちで、
(比べやすくするために課題曲があるのですから。)
実際私も、以前は
比べようとしているわけではなくても、
同じ曲や、同じショパンの作品をずっと聴いていると、
自然と、どの人がより上手かとか、
この人は○次予選は通りそう、など
勝手に評価していました。
(こんなコンクールに出る人は、
そもそもみなさん素晴らしいのに、
そこまで弾けもしない私が偉そうに!m(__)m汗 )
でも今は自然と、
コンテスタントの前情報や評判も気にならず、
ただその方の音楽、その方の世界を楽しんでいます。
誰が予選を通るのか?とか、
誰が上手か、この演奏はどうか?などではなく、
この曲をこんな風に弾くのかぁ!
なんてインスピレーションに溢れているのだろう!
この人の音が好き!
私ならこうは弾かないけれど、こういうのもいいなぁ!
何百回も聴いた曲なのに
新鮮な魅力を感じさせてくれてすごい!
・・・と、
ただショパンの音楽と演奏者の生み出す世界を
楽しんだり、
時には、
この人はこういう性格の方なのだろうなぁ、
お友達になりたいな〜、とか、
友達になるのは難しそうだけれど、
なんか好き!、とか、
勝手に思ったりしています。笑
気づけば、ランク付けや、
誰が本選に残るか?優勝するか?はすっかり忘れ、
これがコンクールであることも忘れ、
一人一人の情熱をかけた演奏を
純粋に楽しみ、喜んでいる自分がいて、
なんて幸せなんだろう、贅沢な時間なんだろうと思い、
ここまで練習を重ね、
素晴らしい演奏を聴かせてくれることに
感謝でいっぱいになります。
中には、二次予選に進めなかった人たちの中に、
素敵だなぁ!と感動した演奏も数々あり、
審査がどうとか、
本当は上手じゃなかったのか?
自分には聴く耳がないのか?などはどうでもよく、
私は好きだった、私は感動した、
だからあの人の演奏を、二次三次やファイナルでも
ぜひ聴きたかった、
もう一度聴きたかった、
別の曲も聴きたかったなぁ、
と思いました。
(というか今も思っています。)
その時に思ったのですが、
有名な先生の正しい評価と、
自分の感想が一致しなくていいし、
私が感じたことに何の間違いもない、と
揺るぎなく思えることが嬉しいです。
こういう感覚が、
自分であること、自分を生きることであり、
自分への信頼感であり、
自由だなぁと思います。

(チェコ プラハにて。
ヨーロッパは色んな楽器の演奏が街にあふれていて大好きです♪)
これは普段の生活の中でも
大事な感覚だなと思います。
例えば、テレビや新聞で
権威ある人がこう言っていたからそうなんだ、
と思ったり、
映画やイベント、お店などの評判を
ネットの口コミでチェックして
評価が低いから見ない、いかないとか、
あの人は変わり者だってみんなが言っている、
普通はしないこんなことをしたらしいよ、と聞いて、
よく知らないままその人から距離を取る、など、
私たちはつい詳しい人の評価や、
みんなの声を自分の判断に持ち込んでしまいますが、
それ、いらないですよね。
自分がどう感じるか?は
自分でやってみないとわかりませんし、
誰かの評価や情報なんて
自分が楽しむため、自分を生きるために無用です。
自分で感じてみること、味わってみることなしに、
知った気になって評価だけするほど
残念なことはありません。
それじゃ生きている意味がないですから。
また、二次予選に進めなかった人にとっては、
その結果は本当に残念なことだろうと思いますが、
望む結果にならなかったけれど、
私みたいに世界のどこかで
ハートに響いて忘れない人が、
間違いなくたくさんいるのだと思います。
そう思った時、
コンクールや音楽に限らず、
どんなことでも、
私たちの挑戦や
やってみることの全ては、無駄じゃないのだ、と
強く思いました。
仕事でも、何かを学んだりやってみることでも、
結婚や婚活、人付き合い、引越しでも、
料理や断捨離、ガーデニングだったり、
例えば旅行や遊びでも、新しい経験や選択でも、
望む結果を得られなければ意味がない、
期待したものが手に入らないなら無駄、失敗と
私たちは思ってしまうけれど、
そうじゃないんだと
忘れないでいたいなと思いました。
そうは言っても、人間は綺麗事では満足できず、
やはり頑張った分、結果も欲しいと思うものです。
それは本当にその通りだと思います。
でも一見失敗に思うような結果や、
自分では無駄だったと思う挑戦や経験は、
その一場面ではそうかもしれませんが、
必ず長い人生で宝物に変わります。
それは間違いありません。
私自身も、たくさん失敗してきましたし、
恥もかきましたし、
頑張っても頑張っても届かず、
悔しい思いをしたこともありましたが、
それで拗ねて、卑屈になって、心を閉じて、
「やっぱり私はだめなんだ」と
自分にレッテルを貼らず、
ちょっとお休みして、
また自分にできること、したいことを、
同じ道でも、全く別の道でもいいので
一歩ずつ歩いていくと、
当時の自分には
この世の終わりのような苦しみだったことも、
いつの間にか一つの通過点になっていて、
気づけばあの頃には想像もできなかった世界に
自分がいることに気づきます。
大人は子供たちに、
そんなことを教えてあげられるといいなと思いますし、
逆に大人は子供たちから
もっとそのことを学べばいいように思います。
なんと言っても子供は大人より軽やかで、
間違うことを恐れませんから。(^^)
なんだか今日も色々書きましたが、
二次予選に進めなかった人たちの中に、
心に響く忘れられない演奏があったことが、
私にたくさんの気づきを与えてくれました。
(一次予選を聴けて嬉しかったです!)
彼らがより輝くピアニストとなって、
いつか日本に来て、演奏会をしてくれるといいなぁと
一ファンとして応援したいと思います♪
種を蒔く時期と収穫の時期は
ちょっとずれているものです。
まだ収穫できない(現実の結果にならない)時は、
このことを思い出し、
自分を真っ直ぐに生きればいいのだと
忘れずにいたいですね(^^)
さあ、今夜もどんな素敵な世界に出会えるか。
三次予選の演奏を楽しみますよ〜♪
プロフィール 北山裕子
摂食障害を治すために瞑想を始め、
数ヶ月ですっかり改善しましたが、
その後も続け瞑想歴30年になりました。
現在、遠隔でのエネルギーヒーリングや、
オンラインで瞑想セミナーや直感を磨くセミナー、
個人セッションをさせていただいています。
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