春休みの三連休初日の今日は
時折雨がパラつく静かな一日でした。
街や世の中は
いつもより賑わっていたのかもしれませんが、
今日はオンラインセッションなどのお仕事の後も
お散歩や買い物にも出かけず、
久しぶりに家にこもって
ゆっくり静かに過ごしました。
これを書いている夕方には、
西の空の雲が切れ、
明るい光が優しく街や川を包み始めています。
こんな曇り空の日ほど、
空模様の変化が面白く、
見飽きることがないですね。
変化があるということは
時間が流れていることの証明であり、
その変化こそが
生きていることを実感できるものだなぁと思います。
そういえば、今ふと思い出しましたが、
私は高校生の頃、ちょっとだけ洋楽にハマり、
ビリー・ジョエルなどを聴いていたのですが、
そのビリー・ジョエルのアルバムの中でも
デビュー版の「コールド・スプリング・ハーバー」が好きで
よく聴いていました。
その中に「Tomorrow is today」という曲があり、
タイトルだけを見ると「??」ですが、
歌詞を見ると、
I don't have to see tomorrow
Because I saw it yesterday.
明日を知る必要もない、
昨日見てしまったから。
Nothing comes to change my life
So tomorrow is today.
どんな物も僕の人生を変える事はない、
だから明日は今日なんだ。
という感じで、
学生時代の私は生きることが苦しく、
ピアノに向かう情熱と同時に、
一方で何もかも諦めたような感じも強くあり、
人生も世界も所詮こういうもの、という
ペシミスト(悲観主義者)の自分に
この曲がピタリとハマって、
しかもまた曲が美しいので、
よく聴いていました。
(この曲は人生に疲れ果て絶望した人の歌なので、
落ち込んでいる時や、
ネガティブ、悲観的になりやすい方、
そうした考えや思いにハマりやすい、引っ張られやすい方は、
聞くのはお勧めしません。)
そんなこの曲の中でも言われているように、
変化がないと、
明日が来ることなんて何も楽しみではなく、
どうせ昨日と同じなんだ、と思うと、
生きる意味もなくなってしまい、
何もかもどうもよくなってしまいます。
変化があるということが、希望であり、
生きる意味であり、
面白さであるということが
よくわかりますね。
でも人は変化を怖がり、避けようとします。
変わっていくものの元の状態に執着したり、
ずっと変わらないでいて欲しいと思ったり、
「あの人は変わってしまった。
もうあの頃のあの人ではない。」
などと言って憂いたりします。
そして変化がない毎日にうんざりし、
生きる意味を感じられず、
どうせ明日も今日と同じなんだと、
生きることが面倒になり、
鬱になったりします。
このループを抜け出すには、
変化を受け入れ、楽しめるようになればいいわけですが、
じゃあ、と言って、
何か昨日と違うことをすれば片付く問題か、と言うと
そういうわけでもなさそうです。
(ニュージーランド クライストチャーチの
港町リトルトンを一望できる丘にて。)
問題は、そもそもどうして
明日は昨日と同じだなんて
思ってしまっているのかですが、
一概にはいませんが、
例えば、こうあるべきという正しさや常識、
人の目や評価、反応を気にして、
本当の自分を生きることを手放してきたからかもしれません。
親や友達、クラスメイト、周りの大人・・・
そんな色んな人から嫌われないように、
愛されたくて、
本当の自分を生きることより、
嫌われないように振る舞うことや、
好かれようと行動したり、
言うこと言わないことを自分の中で選別してきたことで、
もう本当の自分がわからなくなり、
自分がどうしたいのかもわからず、
周りを気にしてそれに合わせて振る舞うことや、
普通や常識、正しさに沿っていること
=生きること、になってしまっていて、
でもそれは本当の自分とは違いますから、
無自覚でも、それに疲れ、
そう生きることに意味や楽しさなど見出せず、
どうせまた明日も同じ、と思ってしまって、
嫌になってしまうのかもしれません。
その場合、
どうすればそこから抜け出せるか?と考えますと、
小さなことから少しずつでも
本当の自分をもう一度生きてみることで、
そのためには、
人の反応や評価、正しさ、こうあるべきなど
自分が何を握りしめているかに気づくことです。
多くの人の場合、
それは子供の頃、親から愛されたかった気持ちから
身につけてしまったもので、
例えば、こう振る舞えばお母さんが笑ってくれる、
いい子でいれば愛される、喜んでくれる、
お母さん望むような自分でいれば
安心してここにいていいんだと感じられるなど、
親から愛されたいから、
安心できる居場所が欲しかったから、
そのためにどうすればいいかを学び、
身につけてしまったものです。
だから常識やこうあるべきという
親が思っている価値観に沿うことを覚え、
本当の自分、無邪気でわがままな
子供らしい自分を封印して、
正しい自分を生きることばかりを優先して
これまで生きてきたので、
もう本当の自分がわからなくなっているのです。
そんな自分に気づき、
もうそんなことをしなくてもいいんだ、
もう自分を生きていいんだ、と本当にわかると、
今までのその価値観を手放すことができ、
ちょっとわがままで、気ままで、
変わり者で、
自分勝手で、
みんなと同じようにできなくて、
親の期待通りではない歪な自分を
生きることができるようになり、
すると不思議と未来は昨日と同じだなんて思わなくなり、
人生が面白くなってくるのです。
自分ではない何者かになろうと振る舞うことは、
私たちが自覚する以上に
大きなエネルギーを消耗します。
そこにエネルギーが注がれるので、
他のこと、例えば
人生を楽しむことなどに使うエネルギーは
残っていません。
でも、自分のままで生きるようになると、
「何者かになろうとするエネルギー」は
使わなくてよくなるので、
人生を楽しむ余裕が生まれます。
知らないことや新しいことに対する興味が
持てるようになってきます。
するとますます自分らしく生きられるようになり、
人生はどんどん面白くなってくるのです。
また、自分勝手に生きるなんていけないことだ、
人に迷惑をかけてはいけない、
と思っている人は多いですが、
(特に日本人。)
でもあなたが心配していることや、
いけないことだと思っている自分勝手なんて、
実は大したことではなく、
瞬間的に誰かが迷惑に思ったり、
咎めたりするかもしれませんが、
どうせしばらくすれば忘れます。
みんな自分のことで必死で、
次々に人生に色んなことが起こるのですから、
あなたの振る舞いや選択、行動など、
一々気にしていませんから大丈夫です。
それをいつまでもグズグズと言う人が近くになるなら、
そっと離れましょう。
それが親などでも同じで、
会う頻度をうんと減らしたり、
あまりにもあなたをコントロールしようとするなら、
無理に会わなくていいのです。
親不孝だ!と責める気持ちが湧いてきたら、
その責めているのは誰か?、自分の心を見てください。
あなたを責めるのは親ですか?
世間ですか?
常識ですか?
自分ですか?
世間や常識なら、
「関係ないのだから黙ってて!」と言って、
イメージの中で、お口にチャックしちゃいましょう。笑
親や自分なら、
「えへ!自分勝手でごめんね☆てへぺろ」でOKです。笑
そうして今まで忘れていた
本当の自分を生きることを始めると、
明日は昨日や今日と同じではなく、
まだ何も書かれていない真っ新なページだと
感じられるようになってきます。
すると生きることが楽しくなるでしょう。
今日は、変化があるからおもしろいということから、
こんなお話になりました。
空と同じように、
私たちもどんどん自由に変わっていっていいのです。
天気予報では
曇り空の移り変わりの美しさは想像できません。
私たちの人生もどう変化し、流れるか
わからないから面白いのです。
そんなまだ誰も知らない明日を
楽しむ毎日となりますように(^^)
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