今日で生まれ育った和歌山市から引っ越し
ちょうど一年になりました。
一年前の今日、
ちょっと京都に住んでみよう、
毎日お散歩をして暮らしてみたい、と思い、
夫と暮らしていた家を離れ、
軽い気持ちでこちらに来たのですが、
まさか一年も和歌山から離れるなんて
思いもしませんでした!
結婚してからも、2、3ヶ月
海外留学などで家を離れたことがあり、
コロナで海外に行けないこの機会に、
日本で住んでみたい場所に住んでみよう♪と、
思いつきのちょっと長めの旅行気分で引っ越しました。
数ヶ月で帰るつもりが、
5月には今こそ昔からの憧れだった
北海道にも住んでみる時だ!と、
まずは札幌に、そして十勝・帯広に引っ越し、
あまりにも美しい毎日に
あっという間に5ヶ月が過ぎ、
寒くなり、そろそろ和歌山に帰ろうかな〜と思ったら、
夫が長年の夢に向かって走り出したところで、
それを邪魔したくないし、
紅葉の京都にも住んでみたい!と、
また京都に。
そして気づけば一年が過ぎていました。
毎日が旅行中のような、
夢のように楽しい一年でした。
(そして今もそれが継続中です♪)
コロナの影響で夫の仕事と収入が
数ヶ月完全になくなるなど
大変なこともありましたが、
コロナがなければ
この暮らしはやっていなかったことですから、
個人的にはコロナさんに
素敵な機会をありがとう!です。
(不謹慎ですみませんm(__)m)
住んでみたい街で自由に暮らしてみたい、というのは、
本気で追いかけて実現したい!と
掴みにいくような感じではなく、
私にとってはふんわりとした憧れのような夢でした。
夢の実現のために
何も頑張っていませんし、
追いかけたり、積み重ねたり、
努力したりもしていません。
ただやってみたら、なんかできていた、
という感じです。笑
これからの新しい時代は、そんな風に
試しにちょっとやってみたらできた、という感じで
夢が実現する時代なのだろうと思います。
必死であれもこれも我慢をして、
絶対に一発で成功させるぞ!とか、
重い荷物を背負って歯を食いしばって
麓から頂上を目指して山を登るとか、
夢の実現のために
耐えて忍んで追いかけるとか、
人を出し抜かなければ、
周りより先に行かなければ、
自分の席がなくなる、置いていかれる、
手に入らなくなる、でもなく
無制限に夢は叶う時代になってきましたね。
「夢が叶う」という言葉も
なんだかもう、ちょっと違う感じがします。
叶うというと、なんだか
遠くにあるもの、
追いかけるもの、
掴むもの、
ようやく届くもの、というイメージがありますが、
夢や理想はそんなに遠くにあるものではなく、
自分のすぐ隣にあるもののように思います。
今までもそうだったのですが、
夢は隣りにあるようで、
でもその夢との間には
見えない壁のようなものがあり、
別世界のようで、
映画の画面の中のように、
手を伸ばしてもスクリーンに手がぶつかるだけで
その世界に自分は入れない、という感じでした。
でもこれからは
その映画のスクリーンの中に
自分がスルリと入っていける時代になってきました。
おもしろい時代になってきましたね♪
夢の映画のスクリーンにスルッと入れるか、
画面にぶつかって入れないかは、
自分の意識、波動によります。
難しい、無理だなどの思い込みを手放し、
波動が軽やかであると、
スルッと入り、気づけばもうそこにいるのだと思います。
これは才能や能力は関係ありません。
ただその人がどれだけ
思い込みや枠から自由であるか、
クリアであるかの違いです。
それは例えば、過去のトラウマなどの
大きな重いものでなくても、
(それも確かに手放すといいですが。)
日常の中で
日々自分のちょっとした重さ、不自由さに気づき、
それをただやめる、手放すことをしてくと、
どんどん軽やかになっていくものです。
(今日の京都 鴨川をお散歩♪
街の真ん中なのに水がきれいで、やっぱりここが大好きです(^^))
私はただ、
お散歩が楽しい街で暮らしてみたいな〜♪と思い、
京都に引っ越してみました。
そして本当に毎日お散歩を楽しんで暮らしています。
そうして過ごしたこの一年で
ますます自分が軽やかになってきたように感じています。
(人や世間との比較ではなく、自分比です。)
それは、本当にしたいことを
自分に我慢させずにさせてあげることを
毎日優先してきたからで、
ただそれだけです。
とてもシンプルで楽しいことですから、
ぜひお勧めしたいですが、
でも実際にやろうとすると、
いや、今日は仕事だから、予定があるから、
あれもこれも終わらせてから、
そんなことをするのは自分勝手では?、
周りの人がどう思うかが気になって踏み出せない、
自分のために時間やお金を使うことに抵抗がある、
時間がない、お金がない、
立場上、難しい、など、
みんな色んな理由で先延ばしにします。
もちろん仕事でも付き合いでも、
それが本当に自分がしたいことなら
それでいいのですが、
そうではないなら、
生き方を見直してみる時期にきているかもしれません。
この「本当にしたいことかどうか?」を
見極める一つの問いは、
「未来のため、欲しい結果のために
今を我慢していないか?」です。
例えば、これをやっておいた方が
後で仕事につながるかも、とか、
こうした方が人から高く評価される、
こう言った方が好かれる、嫌われない、
こっちを選んだ方が夢が叶いやすくなるかも、など、
結果のために選択をコントロールしていないか?
ということを自分に聞いてみるといいですよ。
未来のために今を我慢したり、
欲しい結果のために
今、本当の自分を生きることを
後回しにしたり、手放していると、
いつまで経っても夢のスクリーンは壁のままで、
生きたい世界を生きることはできません。
私たちが生きているのは、今です。
私たちが生きることができるのは、今だけです。
そのことが本当にわかると、
未来のために今を諦めたり、
コントロールしようとしたりはしないでしょう。
昔はみんな、いつかの未来のために、
今を我慢して生きてきました。
学校の教育もそうでしたね。
今勉強しておかないと、
いい学校に行けない、
いい学校に行けないといい会社に入れず、
人生負け組になる、という感じです。
でも今はもうそういう時代ではありません。
過去でも未来でもなく、今を大切に生き、
人や世間ではなく、本当の自分を大切に生きることが、
新しい時代を自由に楽しく生きるコツです。
本当の自分についても書きたかったのですが、
お話が長くなりましたので、
そのお話はまた明日以降に書きたいと思います(^^)
住みたい街でお散歩をして暮らしてみたいな〜♪と、
あまり深く考えず、
ちょっと試しにやってみたら、
あまりの楽しさにあっという間に一年が経ちました。
昨日電話で夫に、
「明日で一年だよ!」と言うと、
「もうそんなになるんだね!おめでとう〜!」
と言われました。
私の住みたい街暮らしを
一緒に喜び楽しんでくれることに感謝です(^^)
いつまで京都にいるのかは
全く何も考えていませんが、
今の自分に素直に、
本当にしたいことを日々自分にさせてあげながら、
ここでの暮らしを楽しみたいと思います(^^)
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