前向き気づき日記

瞑想歴24年。自分らしく生きたい方へ。

北山裕子

北山裕子(id:yuko-k-ami )
瞑想歴25年、東京や大阪を中心に瞑想セミナー、キネシオロジーセミナーを主催。 エネルギーヒーラー。 23才で摂食障害を治すため、 藁にも縋る思いではじめた瞑想で潜在意識とつながり、 自分の奥底に眠っていた本当の自分(潜在意識)と 会話ができるようになりました。
読むと気持ちが軽やかに、自然と前向きになるようなお話しを綴っています。

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理不尽なことから学び成長する

今日も穏やかな冬晴れの気持ちのいい一日でした。

 

冬の夕方前の

少しオレンジに色づき始める時間の世界が大好きです。

 

光がやわらかくて、優しく輝いていて、

それが穏やかに満ちていて。

 

まるで愛そのものだなぁと思います。

 

昔は「好き」は分かっても「愛」はよく分かりませんでした。

 

でも愛は毎日こんなに自然に私たちのそばにあり、

いつもいつも変わらず愛で包まれていると気づきました。

 

自分は愛されない、

愛されるに相応しくない、

孤独だ、

いなくてもいい存在だ、と思い、

 

生きていることが苦しかったこともありましたが、

 

それはあまりにも狭い世界や自分しか

見えていなかったのだと今は思います。

 

 

昔と比べて今の私の方が

良い人間だとか悟ったからだとかいう訳ではなく、

 

むしろ長く生きた分、醜い自分にもたくさん出会い、

自分が思っていたほど自分は

清く正しい人間ではないと知りましたが、

 

それでも愛されて存在していることをいつも感じています。

 

良い人間かどうかなど、

愛されるかどうかに関係ないのです。

 

 

そう言いますと、

 

そんなのは納得がいかない、

ズルイ人間も同じだけ人や宇宙、神さまから愛されるなら、

 

人をおとし入れて汚いことをやってもいいということになる、

そんな世界は間違っている、

 

と思う人もいるようです。

 

 

そう思うということは、

そこにその人の価値観が現れていて、

 

言い換えれば、

 

正しく良い人間でなければ存在してはならない、

愛されない、愛されてはならない、

間違ったことをするのは許されない、

愛されるのは良い人間だけ、

 

というような考え方が根底にあると分かります。

 

 

でも世界を眺めてみれば、

そうでない人も存在していて、

存在することを許されている事実に気づきます。

 

ということは、

この世界は清く正しい人間でなくても愛される、

存在していいと許されているのが真実で、

 

それが現実であり宇宙の真理です。

 

もし本当に宇宙や神さまがそんな人を許さないなら、

存在しないはずですが、そうではないのですから。

 

こうでなければ愛されない、というのは、

ただの思い込みだということの証明ですね。

 

 

そうは言っても納得いかない、

何かおかしい、間違っている、

 

ともし思う場合、

これは大きな気づきのきっかけになるでしょう。

 

ちょっと厳しめのお話ですが、

(途中でやめずにぜひ最後まで

読んでいただければと思います。)

 

「私は正しい、間違っているのは世界(相手)だ、

この考えのどこがおかしいと言うの?

私、間違っていませんよね?」

 

という考えは自分の価値観に縛られて

他を受け入れない時の決まり文句です。

 

私もこれに縛られていましたが、

 

多くの人はこの言葉が出る時、

その考えを手放そうとしません。

 

万に一つも自分が間違っているのかも?と

思いもしませんから。

 

そしてそのままでは

どうやっても世界の在り方に納得できません。

 

だから苦しいのです。

 

 

その考えのまま、

自分は間違っていない、おかしいのは世界だ、と、

思い続けて貫いてもいいのです。

 

それも自由な選択です。

 

でもそのままではずっと辛いでしょう。

 

 

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(ニュージーランドにて。あちらこちらの道端に

たくさん咲いていました♪)

 

 

だからと言って、

汚い生き方の何が悪い?と開き直ったり、

卑怯でOKと言っているわけではありません。

 

ただ、神さまはそんなことも全てを愛するほど懐が深いのです。

(神さまは、宇宙でもサムシンググレートでもお好きなもので。)

 

人がズルいことをしたり、誰かを傷つけたりしても、

それですぐに罰したり怒ったりしないのです。

 

それは幼い子供がわがままを言うのを見ている

親と同じです。

 

3歳の子供のちょっとした間違いを

許せないような大人はそういないように、

 

まだまだ学びの途中の未熟な私たちを

いつもあたたかな眼差しで見てくれているのです。

 

いつか成長して愛に満ちた存在になることを楽しみにしながら。

 

だから世界に色んな人がいることは

何も間違っていませんし、

 

良い人間でないと愛されない、

存在してはならない、許されないということはないのです。

 

 

このことに限らずですが、

 

「世界が間違っている、あの人が間違っている、

だって私は間違っていないでしょう?」と思う時、

 

人は成長や気づきのきっかけを逃してしまいます。

 

成長しなくてもよければ、

愛など知らないままでよければ、それでもいいですが、

 

その考えが浮かんだ時に、

自分の根底にある握りしめている価値観や思い込みに気づき、

 

よく世界を見てみましょう。

 

今回のお話なら、

例えば卑怯な人もいる世界という事実から

真実が見えてきます。

 

それに気づくと、

 

「とても考えられないけれど、

私が思い込んでいるだけかもしれないの?」と思う時、

 

少し握りしめた手がゆるみます。

 

そこで感情的にならずにゆっくりと深呼吸をし、

真摯に素直に自分を見つめ、周りを見ると、

そこで大きな気づきが起こり、

 

一ついらない価値観や思い込みを手放せ、

私たちの魂は大きく成長し、

 

一つ愛を知るのです。

 

 

人はそうして少しずつ成長し、

 

成長するほどに

世界がどんなに愛に満ちているかを知るでしょう。

 

私たちは長い長い旅路の途中にいます。

 

愛を学ぶことは一足飛びではいきません。

 

一歩一歩こうした深い気づきが

私たちを磨き、内なる光をより輝かせていきます。

 

 

認めたくない、とても受け入れられないような、

目を背けたくなり、怒りが湧いてくるようなことほど、

 

大きな成長のチャンスです。

 

私たちはそれに反発して、

なかなかそれを素直に正面から見ることができないものですが、

 

そういうものだと知っておくことで、

そんな状況になった時に、

 

もしやこれは…!と思い、

 

愛を学ぶチャンスだ!

待ってました!

 

と自分を開いて行けるといいですね。

 

そう思うと納得できないことも

ありがたい機会だと思え、

素直になれるように思います。

 

 

もちろん、例えばDVや虐待などで

本当に自分が間違っていなくて、

逃げた方がいい場合もありますから、

 

客観的に見る目を養うことも大切です。

 

でも思うよりこのパターンでの学びはたくさんありますので、

 

周りの友達などに相談して、

みんなが「おかしいのはあの人だよ!」と言ったとしても、

 

友達というのは自分と価値観が似ている人が多いですから、

思い込みに気づけないかもしれませんので、

 

一度は自分の思い込みや価値観について

考えてみるのもいいように思います。

 

 

そうして愛を学べば学ぶほど、

いかにこの世界が愛にあふれているかを知ります。

 

それを知らないよりずっと生きやすく、

心地よい世界です。

 

心を開いて成長のチャンスを生かし、

幸せな人生を歩んでいきたいですね(^^)