前向き気づき日記

瞑想歴29年。読むだけで気持ちが軽やかに前向きに。自分らしく生きたい方へ。

北山裕子

北山裕子(id:yuko-k-ami )
瞑想歴25年、東京や大阪を中心に瞑想セミナー、キネシオロジーセミナーを主催。 エネルギーヒーラー。 23才で摂食障害を治すため、 藁にも縋る思いではじめた瞑想で潜在意識とつながり、 自分の奥底に眠っていた本当の自分(潜在意識)と 会話ができるようになりました。
読むと気持ちが軽やかに、自然と前向きになるようなお話しを綴っています。

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自分を受け入れ愛するには~罪悪感と許すこと

「愛の反対語は憎しみではなく、無関心だ。」

と言ったのはマザー・テレサさんですが、

 

私はもう一つ、

「愛の反対語は、罪悪感」だと思っています。

 

自分自身の存在そのものを否定する罪悪感は、

愛の反対にありますから。

 

昔は罪悪感はないとダメなものだと思っていました。

特に日本人は美徳としますね。

 

例えば、人に冷たい言い方をした後で、

「あぁ、あんな言い方をするべきではなかった…」と思うような、

ちょっとした罪悪感は、

 

そこから反省し次につなげるなら

悪いことではないと思いますが、

 

もっと強烈な罪悪感で、

自分の存在自体を認められないような場合は、

まさに愛の反対だなと思います。

 

 

昔の私は罪悪感まみれでした。

 

「こんな自分なんて生きていてはいけない。

私がしたことは誰にも許されないし、

許されるとも思っていない。

 

私なんて生きて存在することすら許されないのに、

なぜ生きているのだろう。

 

ダメな人間だ。どんな罰でも許されない。

 

自分が生きていることが許せない。

生きていてはいけない…」

 

毎日こんな風に考えていたので、

実際に体が壊れてしまいました。

 

 

愛には色んな要素があると思いますが、

ひとつは、

 

「存在を祝福すること」と言えると思います。

 

例えば、ある人が好きで、

その人がいてくれるだけでうれしくて幸せで、

その人が存在していることをただ喜び感謝する、

 

そんな時、愛を感じます。

 

強烈な罪悪感はその真逆です。

 

存在していることを許せないですし、

認められない状況です。

 

 

でも、強い罪悪感が愛の対極にあるなどと

知らなかった私は、

 

罪悪感をなくすことが怖かったのです。

 

悪いことをして、罪悪感を感じないような

鈍感で無神経な人間になるのが怖かったのです。

 

平気で悪いことをする人間にどんどんなっていきそうで、

罪悪感を手放すことなんて考えられませんでした。

 

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でも、何か悪いと思うことをしてしまったなら、

あとでどんなに自分を責めても

もうどうしようもないのです。

 

「悪いことをして反省して

罪悪感まみれで苦しむ私でいれば許される」

とは思っていませんでしたが、

 

そもそも許されないと苦しもうと

それはもう何をどうしても消せません。

 

これを受け入れて生きるだけです。

 

それは、罪人の顔で卑屈に生きると言うことではなく、

そんな自分を潔く受け入れる、認めるということです。

 

(もちろん、そんな人を他人が責める権利はありません。

悪いことをした人はどんなに責められても本人のせい、と

遠慮なく批判する人は多いですが、

私はそうは思いません。

人はそんな役割をするための存在ではないと思います。)

 

 

その時に思いました。

 

誰に許されたいのか?

誰が私を許さないのか?

 

それは、世間や常識、神様だと思っていましたが、

実は私でした。

 

 

ある時、それに気づき

後悔も、何度も繰り返す意味のない反省もやめ、

 

賢く生きられなかった自分を受け入れました。

 

 

「私は賢くない。

いっぱい間違える。

たくさん迷惑もかける。

 

でも適当に生きているわけではない。

私なりに精一杯生きていいる。

 

精一杯なら何をしてもいいというわけではないと

分かっている上で、

この私で生きるしかないのだ。」

 

そう思うと、おバカな自分がちょっと愛しくなりました。

 

 

人は、まずは自分が愛さなければ生きていけないものです。

 

罪悪感は愛の対極にあります。

 

罪悪感から自分を解放して、

自分を愛してあげるのは悪いことではないのだと

その時にやっとわかりました。

 

 

そして、そんな私なのだから、

誰かがする悪いこと(と思っていること)も

許していける人になりたいと思いました。

 

ひとつ、またひとつと

許していくうちに、

自分の間違いも意味のあるものに変わっていきました。

 

 

罪悪感を感じる相手に愛で返してあげられるなら、

私は私に罪悪感ではなく

誇りを持てるような気がしました。

 

みんな人間だから、たまに間違いもします。

みんな許し合い、愛しあって生きていきたいですね。

 

今日もそんな一日を(^^)