たまにその時の気分で
一人で海に行ったり散歩をしたり、
カフェや本屋さんに行ったりするのが楽しみです。
時間にするとほんの一時間足らずですが、
この時間が最高に楽しいひと時です。
行こうと決めていたわけでもなく、
帰ってやらなくちゃならない用事はいっぱいあるけれど、
でもふと沈みかけの夕日を見ると、
空を眺めたくなったり、
緑の中を走りたくなったり、
裸足で砂浜を歩きたくなったり。
そうしてハンドルを家とは逆方向に切る時、
「ああ、私は自由だな…」ととても爽快な気分になります。
自由って、実際に時間があるかどうかや
可能かどうかではなく、
心のあり方ひとつで手に入るものです。
例えば、どんなに予定が詰まっていても、
「やーめた!」と言って
別の方向に走り出してもいいのです。
犯罪ではないですから。
後が忙しくなっても、
手が回らないことになっても、
それでも充分価値のある時間です。
無責任はよくないと思って留まり続けるのも、
無責任な人になりたくなくて続けるのも、
決まっていることをただこなすのも本人の選択で、
だから結局人は何をどうしたって自由なのです。
やらされている、やらなければならないからやっている、
と思うと、
それだけで楽しくなくなり、
なんだか気分も重くなりますが、
別にやめてもいいけれど、
自分で選んでやると決めたからやっているんだと思うと、
同じことでも前向きな気分になれますね。
(シアトル近郊の空から。
右上にはマウント レーニアが見えています。)
今日は忙しいけれど、ちょっとドライブしようと
決めた時に感じるあの開放感は、
ドライブに行くからというよりは、
したいと思ったことをしようと決めた心地よさ
からだと思います。
海に行ったから、散歩をしたから楽しい
ということもありますが、
それ以上に、自分の心の声に従ったから、
自分の魂や細胞が喜んでいるのだと思います。
それはほんの短い時間でも味わえるものです。
そうして瞬間にその時の自分が望んだことをすると、
例えそれがありふれたことで、たいしたことでなくても、
普段奥のほうにひっそりと隠れている魂が顔を出し、
「そう!これ!これをしたくて私はここにいるの!」
「これを生で味わいたくて生まれてきたの!」
「うれしい!ありがとう!」と、
喜びと感動の声をあげます。
私たちはこうして自分を幸せにできるのです。
よく「ワクワクすることをしよう」と言いますが、
日常でそんなに毎日ワクワクすることなんて
見つからないと言うかたは、
チラッと聞こえる「いいな〜」や、
「こんなことができたら楽しそうだな」を聞き逃さないで、
そこでよぎる「また今度」や「今日は無理」を軽く流して、
ちょっとでいいのでやってみるといいですね。
ワクワクというほど大きな心の声でなくてもいいのです。
チラッと心をかすめたちょっといいなと思ったことで充分です。
続けていくうちに、心の声が聞こえやすくなり、
その声を聞いて応えるのも上手になってきて、
ある時、「自分の人生のハンドルを握っているのは自分だ」
「私はどこにでも行ける、なんでもできる」
「どんな選択も自由なのだ!」と感じ、
心や体の細胞が喜ぶのがわかるでしょう。
そうして自分で自分を幸せにしてあげることが
上手になり、
毎日を幸せに生きていきたいですね(^^)